「俳写」制作ポイント/その2
2016/8/7 俳写倶楽部定例会-86回 ※プリント用
前回の写真をそのまま流用、句だけを差し替えるとどのような結果に成るかを試してみました。
● 日もすがら臥すわくら葉に茜色 尊晴
落葉は西日を受け最後の光芒を放ちます。対象は夢見る金魚から落葉そのものに移りました。言葉の一つで状況は劇的に変化してしまいました。 認知心理学で言う、図と地の分化「ルビンの壺」現象に似ています。《図1》
落葉の句を先に読んで落葉の写真を眺めれば「落葉」に、金魚の句を読んで赤い落葉を眺めれば金魚として認識されます。同時には二つの画像は見えては来ません。その境目の認識ボーダーライン上で、作者の作句意図が画像に大きく影響を与える様です。
❶ 金魚の句は、赤い落葉を金魚になぞらえた「見立て」です。
❷ わくら葉の句は、枯れ葉を病人に見立てた「擬人化」です。
それにしても、全く我々人間に興味も感心も示さない自然そのものを前にしますと、言葉によって導き出される画像との関係など……「俳写」についての一愚考、どれ程の意味があるのか…? 思考のポケットに落込んでしまいました。
《図1》ルビンの壺 |
1915年頃にデンマークの心理学者エドガー・ルビンが考案した多義図形。共通の境界線を持つ2つの領域があり、一方を図、他方を地として見るとする。その結果、直接的知覚的経験は両領域の共通の境界線から生じ、1つの領域のみか、一方が他方よりも強く作用する行動形成効果に特徴付けられる。要は一方が図になるとその形が知覚され、残りは地としてしか知覚されないという事を、図地反転図形の1つであるルビンの壺を例に採り説明した。ルビンの壺では白地(つまり壺のように見える部分)を図として認識すると、黒地(つまり2人の横顔のように見える部分)は地としてしか認識されず(逆もまた真である)、決して2つが同時には見えない。 《ウィキペディアより》 |